- ロケハン
概要
▽2011年3月11日(金)
▽小下沢林道、景信山(標高727m)から相模湖
▽ロケハン、単独行
▽登山ルートは約12キロ、標準時間は約5時間
▽約1万8000歩
◆アプローチ◆
JR中央線・水道橋(05:40)−高尾(06:52)、小仏行きのバスに乗車
高尾駅バス停(07:12)−大下(おおしも)(07:26) ※バス運賃は@220円
◆行程◆
※記録を参考に登はんをお考えの際は、最新の地図等で確認を願います。
【コース】
▽大下から小下沢林道、景信山を経て相模湖へ(約6時間=休憩、カメラ撮影のための小休止含む)
大下(おおしも)バス停(07:26)−小下沢(こげさわ)林道分岐(07:33)−キャンプ場跡地(08:20)
−小仏からの登山道合流(09:25)−雪解け泥道の悪路−景信山(727m、09:50、15分休憩)
−小仏峠(548m、10:40、5分休憩)−小仏城山(11:10)−茶店(12:30)
千木良バス停(12:35)−JR相模湖駅(13:20)
【帰路】
JR相模湖駅から中央線を利用、高尾で乗り換え中央特快東京行きに乗車。
JR神田駅に停車中に地震に遭う。
………………………………………
3月末に仲間内で歩くコースの候補として下見に足を運ぶ。
翌日の12日(土)には講談師・神田織音さんの真打昇進披露パーティーがあり、
土曜日に山歩きはできない。
コース決定の為には早めに歩きたかったので、金曜日の昼過ぎまで会社を休むことに。
全休にせずに、午後会社に顔を出すと決め、自宅を始発で出たことがあとで奏功する。
高尾山駅前のコンビニで飲み物を追加購入。小仏行きのバスに乗る。大下で降りたのは私1人だけであった。
結論から言うと、もし春の高尾山の花々を楽しめるとしても、
雪解けの悪路を考慮するとコース候補からは除外すると決意した。
もちろん、コース自体は悪くないので、
冬枯れの季節か初夏であればコースの候補となろう。
標高600mに近づくと急に残雪が増える。
ただし、昨晩降ったであろう雪も重なっており、
軽アイゼンがあればベターだが、ツボ足でも歩ける。
とはいえ、北面や木立の中はやや凍結気味。
南面になると完全に溶けて泥道となっており難渋する。
景信山からの下山では、滑らないよう用心して歩いたため
スピードが落ちてしまい、平均タイムを30分以上上回ってしまった。
【特記事項】
▼この日は自宅から山歩き、相模湖までの歩行で15キロ、約2万2000歩をこなした。
JR神田駅で地震に遭い、大手町の勤務先まで歩いて出社。
池袋の友人と徒歩で帰宅。池袋経由で帰ったため、
この日は通算で約33キロ、5万歩を歩くことになった。
もともと自宅から勤務先までの距離は12キロ見当だったので、
歩いたらどうなるかは日ごろからは考えてはいた。
図らずも山歩きをしてエンジンがかかった状態で
徒歩帰宅することになる皮肉。
「15キロ歩いたんだから、12キロは歩いて帰れるわな…」
落語の「試し酒」を地でゆくような長駆となった。
▼景信山山頂や小仏城山で雪をかぶっていないベンチは
スギ?花粉で見事に黄色い層ができていた。
花粉症ではない私が見ても気が遠くなる印象。
▼林道を歩いていてアオキの葉や実の色づきがやや悪いかなあとは
感じたが、その他の異変は特に感じなかった。
野鳥は普通にさえずり、林道そばに姿を見せた猿たちは
群れでエサを探していた。
小仏城山のベンチで出会った茶店のネコ(野良?)は
親しげに私に近づいてきた。
阪神淡路大震災の時は電磁波による予兆や
動物の異常行動の報告もあったようだが、
高尾山を歩いている限り「あれ、きょうは動物が全然いないなあ」と
いうようなことはなかった。
▼自宅で荷物を準備するとき、要らないだろうなとは思いつつ、
ツェルトを放り込んでおいた。
もし、中央線に乗るのが遅れていれば相模湖で立ち往生していたはずで、
駅舎の軒下かバス停のベンチで夜を明かしたかもしれない。
出番はなかったものの予備食とツェルトのありがたさを改めて実感した。
▼小仏城山からの山道を降りると市街地に出る際に茶店がある。
老主人から「どうぞ一休みして行ってください」と言われ
少し心が揺れたのだが、雪道のため遅れていたので先を急いだ。
もし一服していたら、10分か15分は余計にかかっただろうから
JR相模湖駅で乗車する電車は確実に1本は遅れていたはずである。
仮に1本後の電車に乗車していたとすると豊田駅のあたりで地震に遭っていた計算。
休憩せずに先を急いだ幸運に感謝した。
▼金曜日ながら見目麗しい「山ガール」に複数遭遇。
単独行あり、ペアあり。ほとんどが景信山から陣馬に向かっていた。
ファッションはカラフルだが、一見しただけでも装備はしっかりしており
平日に山歩きをするぐらいだからかなり熱心かつ経験者と見た。
地震発生の前に高尾までは戻れなかっただろうから、
高尾駅周辺で夜を明かすことになったのだろうか?
(2011年3月 西南記)